観客たちはしびれを切らしていた
いったいいつになったら彼女は(何か)を始めるのか
(誰かを選んで舞台に連れ出すために
観客の品定めをしているのだろうか?)
パフォーマンスが始まってすでに20分が経過している
なのに彼女、ポーランドから来た Angelika Fojtuch は
舞台に突っ立ったまま視線を観客に這わせていくだけで何一つ始める気配がない
舞台に上がってすぐ携帯をちょこっといじってポケットに入れてからは
ずーっとこのにらめっこ状態が続いているのである
会場はクーラーを切っているので暑い
アンジェリカの吐息ひとつ見逃せないこの緊張感に満ちた膠着状態の中では
クーラー音はご法度だ 扇子であおいでなんとかしのぐ
すでに30分が過ぎようとしている
アーティストにはパフォーマンスの時間として15分〜20分が振りあてられている
とっくに時間オーバーである
我慢の限界が近づきつつあった
会場ではパフォーマンスが始まってからしばらくの水を打ったような状態は過ぎ
そわそわ、じりじり、ひそひそといった観客の反応があちこちで起きつつある
(アンジェリカは誰かが舞台にあがって、彼女を引きずりおろすのを待っているのに違いない)
でも・・・本当にそうなのだろうか?
仮に舞台上のパフォーマンス・アーティストに何か危機的な状況が訪れ
それを救うために観客がパフォーマンスに介入するということはあるだろうが
彼女はどうみても元気そうでただ立ち尽くしたまま
同じ姿勢でただきょろきょろと観客を見回しているだけなのだ
観客(スタッフや他のアーティストも含む)が介入する理由は観客側にある
つまり・・・・・・
いいかげんにしろ
ただ延々と突っ立ているのを観るために金払ったんじゃない
あなたが何も起こさないのならこちらから起こしてやる
でもアンジェリカはそういう観客やスタッフの空気も心理も読みつくしている目をしていた
そういえば・・アンジェリカのNIPAF'11の作品コンセプトは
「私は場所と時間の文脈からコンセプトを創造する」だった
「場所の文脈」というのはわりと理解が簡単だ
だが「時間の文脈」とは具体的に何を意味するのだろう?
やっぱりアンジェリカは誰かがもうやめるよう舞台まで迎えに来るのを待っているのじゃ・・
それが「場所の文脈」ということなのではないか
パフォーマンス時計は40分を超えようとしている
とその時日本人アーティストの大池さんがゆっくりと花道を舞台に向かって歩み始めた
舞台といっても段差があるわけではなく観客席と地続きである
まっすぐアンジェリカを見つめる
にらめっこだアンジェリカも大池さんを見つめたままだ
会場から野次が飛ぶ「負けるな!」もちろん大池さんの背中に向けてである
大池さんも舞台上に立つ
腕を曲げていてもアンジェリカに届く距離だ
それでも・・彼女は何かを始める様子も終える気配もない
大池さんはゆっくりと彼女の背後に回る
今度はバングラデシュの女性アーティストのチューマがアンジェリカのところへ行き
何かを諭すように話し始める
だが、アンジェリカに動く気配はない
と思いきや彼女の携帯が鳴った
時間をセットしておいたのだろう
アンジェリカは携帯の音を止めると観客席に挨拶をして舞台をおりた
45分
アンジェリカがあらかじめセットした「時間の文脈」通りに事は運び
パフォーマンスは終わった
拍手!









倉田めばの出演日
